2011年5月28日土曜日

「情報の民主化」に対する誤解

くり返しになりますが、もし、私が唱える「情報の民主化」に「市民メディア」というキーワードを重ね合わせているヒトがいるとしたら、ほぼ間違いだ。少なくとも私自身はそこ(=「流通」)には力点を置いてはいないし、実は期待もしていない。
むしろ、「判断基準としての情報の体系的整理・蓄積」だけでも95%以上目標は達成可能だと思っている。

「通常の更新の前に…」でも書きましたが、
たとえ「流通」のほうがいい加減だったとしても「蓄積」のほうがしっかりなされていて自由に利用できれば、既存メディアの「流通」させている情報のいい加減さを見抜くことができます
から、必ずしも
「市民メディア」のような「判断材料としての、情報流通の自由化
に関して殊更に「情報の民主化」を唱えて新たに何かを起こす必然性はないのです。
もちろん、何らかの形で「情報流通の自由化」を同時並行で進めていくことは重要ですけどね。

2011年5月27日金曜日

「情報の民主化」が達成された後の社会 (未来像)

「情報の民主化」が達成された後の社会がどんな社会になるのか、その未来像が想像できるだろうか?
正直言って自分でも想像ができない。それには二つの要因がある。

まず、そもそも本当に私以外の人が“私が唱える「情報の民主化」”について理解していないのではないか、という疑念が払拭できないからだ。
たとえば、最近 Twitter で私に
「情報の民主化が進まない限り、○○○は不可能じゃないでしょうか」
とツイートしてきた人がいる。そこで挙げられた「○○○」は、私に言わせれば「情報の民主化」未達成状態でこそ容易に実現可能なことだったのです。

もう一つの要因は、たとえ正確に“私が唱える「情報の民主化」について理解していたとしても、一定程度の完成を見る前に途中からディスコースしてしまい当初望んでいたところとは別の形に大きく変容してしまう可能性が高い、という疑念が強いからだ。

尤も、後者に関してはいかなる変革についてもある程度は避けられないことなのだが、「情報の民主化」の場合、意図的な介入によって枉げられる可能性が高いということは注意が必要だ。


このような前提の上に立って、今想像可能な“「情報の民主化」達成後の未来像”をモデル的に考えてみたい。
なお、以下に挙げるものは、未来像を描きやすいように「例示」をしただけであって、その他の形態のほうが実現性が高いことも十分考えられる。脳を柔軟にさせてお読みいただきたい。

*     *     *     *

膨大な過去の情報の入手のあり方 ~「情報の民主化」(1) 情報の体系的整理・蓄積

今現在の日本で何らかの情報を入手しようとした場合、どういう形態が考えられるか?
正直言って、混沌していて情報が探しにくいというのが私の印象だ。

学校教育でもテレビ報道でも、知りたい物事についてそれぞれに含まれている
  • 関連分野
  • 基礎データ
  • 歴史的位置付け
  • 研究の蓄積の所在
がまったく不明な状態のまま、テレビのコメンテーターやアナウンサー、教師などが言ったことを一方的に受け入れなければならない。

書店に並ぶ本にしたって、そこに何が書いてあるのか正確にはわかっていない書店員の思い込みによって分類され、本当に置かれるべき棚とはまるっきり違う棚に置かれていることが実に多い。運良く必要な本らしきものにたどり着けたとしても、著者の研究実績や信頼性がさっぱりわからない状態で購入の決断を迫られるといった有様だ。
これは、インターネット経由で入手可能な情報についてもまったく同じことが言える。


2つの「情報の民主化」が達成された社会では、情報を体系的に整理してアーカイブ(蓄積)している民間非営利セクターが複数設立されていて、過去の情報を無料もしくは低廉な使用料金で提示してくれる。
情報の蓄積は、“民間営利企業とは金銭的にも情報セキュリティ的にも隔離された独自のデータセンター”に構築されたデータベースサーバーを使って行なわれており、民間営利の通信事業者の通信ネットワークを経由して安全に暗号化された形でユーザーのパソコンや携帯電話を使ってアクセスできる。

もちろん、著作権についても一定の配慮がされているので、情報コンテンツの詳細に立ち入らなくても調べたいキーワードに関連した学問の学術体系の中での位置づけや、紙媒体・電子データのすべてにわたる文献一覧が、相互にどんな隣接学問分野や関連キーワードを介して相互にリンクしているのかを、アクセスしている情報機器やネットワークの通信帯域に応じた詳しさで教えてくれる。
著作権の保護期間が過ぎているものや、著作権使用料を事実上放棄しているものはその場で無料でダウンロードすることもできるし、それ以外のものは購入・図書館での閲覧/有料複写サービスなどでの情報入手方法を素早く教えてくれる。

そういったサービスさえも受けられないようになっている情報に関しては、情報を公開するよう活動している非営利民間セクターについての情報やそれらの活動を支援するための情報が提供される。

あと、重要なのは、これらの情報のアーカイブ(蓄積)にアクセスできるのは、パソコンや(スマートフォンを含む)携帯電話だけではないということだ。テレビなどのレガシーメディアの一部にも、簡易キーボードでアクセスできる機能を持ったものや、録画予約用に入力した番組名やキーワード、あるいはその番組の内容についてEPG(電子番組表)が提供してくれた文字情報の一部を切り取って自動的に情報のアーカイブ(蓄積)にアクセスしておいれくれるものもできるだろう。

(この点については「教育」の現場でも大幅な改善が望まれ、期待されるが、ひとまずここでの事例紹介では触れないでおく)


このようにして、大量に世の中に「流通」している情報を見て判断する際に、今「流通」している新しい情報より前の過去の情報を体系的に整理したアーカイブスにアクセスして、今受け取った情報を自力で精査できる「土台」を手に入れることができるわけです。
それをもたらすのが、「情報の体系的整理・蓄積」なのです。

*     *     *     *

最新の一次情報にダイレクトにアクセス ~「情報の民主化」(2) 情報の流通の自由化

このblogをごらんの方であればおわかりと思いますが、ここ何年かのTwitterやUStream、ニコニコ動画などの利用の普及によってほんのちょっぴり状況が変わったとはいえ、日本で今起きていることの最新情報を手に入れる方法は極めて限られています。



2つの「情報の民主化」が達成された社会では、“電波を使ったテレビ放送”やインターネット放送の様々な場面に、既存のマスメディア以外の団体が、主に民間非営利セクターが多数参入しているだろう。

まず“電波を使ったテレビ放送”については、既存のマスメディア以外の新規参入の団体が、未利用もしくは既存の事業者が使用していたチャンネルの一部を整理・統合により開放した既存のチャンネルでテレビ放送を行なっている。基本的に、地上波デジタルもBSデジタルも「マルチ編成」を24時間使うことを原則とし、主利用事業者が使わないサブチャンネル枠は他の事業者に貸し出されることを義務付ける。このようにすれば、地上波であれば理論上同時最大36の放送枠が使え、そのうちの一部は新規事業者に割り当てられる。

一方、インターネット放送に関しても、主にデータセンター事業や放送配信事業に民間非営利セクターが多数参入する。当然に、記者クラブなどのような既得権益を振りかざす団体の存在は許されず、上記の新規テレビ放送参入事業者を含めた放送配信事業者が、記者会見・裁判を自由に放送・報道し、国会内も本会議場・委員会室をはじめ全ての場所に一定の形式的要件を満たした放送配信事業者が自由に出入りできるようになっている。これにより、全ての記者会見・裁判の公判・国会の本会議や全ての委員会審議が、地上波デジタル放送の「マルチ編成」を使ったサブチャンネルやインターネット放送によってノーカットで完全中継される。

もちろん、これらの「放送」の内容は、音声付映像ファイルとしてアーカイブされるのはもちろんのこと、可能な限り文字化されてこれもアーカイブされる。アーカイブされた映像ファイルや文字情報は、前述の「情報を体系的に整理してアーカイブ(蓄積)している民間非営利セクター」によって利用可能な素材ともなる。

*     *     *     *

以上、限られた時間の中でざっと今あるイメージで書いてみました。
これ以外の実現形態も当然ありますし、私が書いた中には当面は実現不可能なものもありますが、「前進するためのモチベーション素材」として見ていただければ、と思います。


なお、文中に登場する「民間非営利セクター」について、一般的にある誤解をといておきます。
非営利」というのは、
事業活動によって得られた利益を出資者には還元しない。」
という意味です。
「非営利=事業収入を得ない。スタッフは無給」
という勘違いをされている方があまりにも多いので、一言申し添えておきます。

2011年5月26日木曜日

「日米地位協定」に関する参考文献

今日は、「日米地位協定」に関する参考文献を2つ紹介したいと思います。

あれ? 「情報の自由化」の話じゃないのかって? まあ、よく読んでみてください。

紹介するのは、
『在日米軍地位協定』
『日米地位協定の考え方 増補版 外務省機密文書』 

の2冊です。

1冊目の
『在日米軍地位協定』
は、本間浩(ほんま ひろし、1938年7月9日 - 2013年5月10日)法政大学名誉教授による「日米地位協定」に関する学術体系書です。
「日米地位協定」の基本構造、日本政府・米軍・基地周辺住民をはじめとした日本国民との間の三面関係、「日米地位協定」が規定するそれぞれの事項に関する各論の検討を行なった数少ない学術書です。

2つの「情報の自由化」のうちの「(1)判断基準としての、情報の体系的蓄積による知識化」のモデルを書籍の形で表現したものです。

2冊目の
『日米地位協定の考え方 増補版 外務省機密文書』
は、沖縄返還前の日本本土への適用を前提に1960年に制定された「日米地位協定」を1972年の沖縄返還にあたって沖縄にも適用する際の問題を含めた外務省内部の「日米地位協定マニュアル」である「日米地位協定の考え方」(1973年)。これを1983年に増補改訂したものを琉球新報社がスクープ入手し、その内容を公表したものです。

2つの「情報の自由化」のうちの「(2)判断材料としての、情報流通の自由化」のモデルを書籍の形で表現したものです。

通常の更新の前に…

私が考える「情報の民主化」は、
(1)判断基準としての、情報の体系的蓄積による知識化
(2)判断材料としての、情報流通の自由化
の2つです
しかも、前者の「蓄積」(「羅列的蓄積」ではなく「体系的蓄積」です)のほうがはるかに重要なのです
たとえ「流通」のほうがいい加減だったとしても「蓄積」のほうがしっかりなされていて自由に利用できれば、既存メディアの「流通」させている情報のいい加減さを見抜くことができますから。

どう考えても 「情報流通の自由化」だけが「情報の民主化」だと勘違いした反応を示す方がいらっしゃるので、再度確認させていただきます。

2011年5月25日水曜日

タイムリミット

世の中には「タイムリミット」を提示しないと悠長に構えて、
「それは理想ですけどね」
とか
「おっしゃることはわかりますけど実現するのは大変ですね」
と言って逃げる人だらけなようだ。

私はなにも道楽で「情報の民主化」を唱えているわけではない。
2020年までに「情報の民主化」が達成されないと、 この日本はおしまいだと考えているのだ。

2020年にタイムリミットを設定し意味や理由については、敢えてここでは触れないで置くことにする。「情報の民主化」というきわめてわかりやすいことさえ簡単には理解できない人に一足飛びに理解してもらえるとは思えないから。

2020年に「情報の民主化」を達成するためには、2015年中には具体的に行動を起こして最低一つのものを形にしておく必要がある。
そのためには、今年のうちにはその最初の一つを具体化させるための賛同者が複数集まっていなければならない。

間に合わせることは不可能ではないけれど、今のままなら間に合わないでしょうね。
あなたがこの話を夢物語だと思っているうちは…。

どれだけ懸命にどれだけ地道にがんばったとしても、「情報の民主化」という土台が欠けていてはその努力はいずれ確実に水泡に帰すのです。

私の主張に対する反応の要約

私の視界の中にいる日本人の考え方は
「自分が楽できるなら変革は望むけど、面倒だから自分は関わりあいたくない」
と要約できるのかな?(苦笑)

関わらない変革は、実は望まない変革である。

 日本人は、(各自の内心はどうであれ外形上は滅亡願望を持っていると言わざるを得ません。