2014年7月18日金曜日

集団的自衛権メモ(草稿)

本論に入る前に注意喚起をしておきますが、私の言説を鵜呑みにしないでください。私の言説だけではなく、すべての論者の言説は鵜呑みにせず、
「論者の提示する根拠(証拠と論理)によって論者の言説は正しいと言えるか」
「論者が提示せず自分が持っている証拠からも論者の言説は正しいと言えるか」
を常に考えながら読んでください。

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では、まず結論から先に言えば、「集団的自衛権の国際法上の根拠を国連憲章第51条に求める論理」というのは誤りです。国連憲章第51条はあくまでも“一般国際法上の集団的自衛権に【国連安保理の決定に基づく正式な国連軍派遣まで】という制約を与える規定”だからです。
では、なぜ誤りなのか。これは二度の世界大戦の勃発とその戦後処理の問題が大きく関わってきます。

今から100年前の1914年に第一次世界大戦が勃発しました。
きっかけは、ボスニアの首都サラエボで起きたセルビア人青年によるオーストリア皇太子暗殺事件(サラエボ事件)です。当時の歴史に詳しくないヒトはなぜこれが世界大戦のきっかけになるのかわからないと思いますが、実は当時のヨーロッパでも多くのヒトは当初はこれがきっかけで世界大戦に発展するとは思ってもいませんでした。

世界大戦に発展した原因は、後に「三国同盟VS三国協商」と呼ばれる「同盟関係」に基づく「集団的自衛権の行使」です。

ここで言う「三国同盟」とは「第一次世界大戦前、ドイツ・オーストリア・イタリア間で結ばれた同盟関係」で、「三国協商」とは「19世紀末から20世紀初頭においてイギリス・フランス・ロシア帝国の各国の間で締結された露仏同盟・英露協商・英仏協商によって作られた三国の協調関係」のことを言います。これによって〔細かい経緯は省略しますが〕セルビア-オーストリアの二ヶ国間問題が〔現在で言う〕「集団的自衛権」の行使の応酬によって世界的な戦争に発展しました。

日本も、三国協商側のイギリスとの間での日英同盟を理由に宣戦を布告し、三国同盟側のドイツが中華民国から租借していた山東省青島を陸軍が攻略、海軍はドイツが植民地支配していた南洋諸島を攻略しました(ここに1931年~1945年の日中15年戦争から現在までに至る日中問題の根源の一つがあります)。

第二次世界大戦後に制定された国連憲章第51条は、このような〔二度の〕世界大戦の原因の一つに「集団的自衛権の無制約な行使の応酬」があるとの反省のもとに制定されたのです(他の原因として「敗戦国に対する多額の賠償金」「国際恐慌を乗り切るためのブロック経済」もありますが、本論(=集団的自衛権)との関係は希薄です)。

そこで、〔一般的には戦争の禁止を謳いつつ〕国連安全保障理事会による正式な国連軍(「国際の平和及び安全の維持に必要な措置」)ができるまでの間という制約の下に一般国際法上の国家の固有権としての〔個別的自衛権と〕集団的自衛権の行使を限定的に容認したのです。

第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。


ただ、これには限界があります。国連安全保障理事会には常任理事国による拒否権があるということです。〔過去のソ連とアメリカ、現在のロシア・中国とアメリカのように〕紛争当事国双方の同盟国が常任理事国であることが通常だからです。

もちろん常任理事国による拒否権にも「国際紛争の現実的解決力を持つ軍事大国が影響力を行使できなかった」という国際連盟の失敗を防ぐ一定の役目があるのですが、結果的に国連憲章第51条が前提としている「国際の平和及び安全の維持に必要な措置」である正式な国連軍結成の妨げとなってしまっています(「多国籍軍」というものを国連憲章の別の規定を根拠に結成しているのが現状です)。