2011年6月5日日曜日

「国民国家」における「情報の民主化」の前提としての「国語」の重要性について

今回は「情報の民主化」と言葉の関係性のお話。
でも、言語での意思疎通に問題を感じて書き始めたこともあり、敢えて文章化はせず下書きのブロックメモをそのまま載せます。

推敲途中の文章を意図的に掲載したり、敢えて文章化はせず下書きのブロックメモをそのまま載せたり、それにも意味があるのですが、その意味は各自勝手に考えてください。

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「個」の経験のみを重視する考え方の危険性 →「知」を共有する必要性(「知」の結集=近代立憲主義の礎)
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テレパシーがない →言語で「知」を共有する必要性
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近代「国民国家」における言語での「知」の共有 →国家単位での共通語である「国語」が必要
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ところが、今の日本では「国語」(=「日本語」)が崩壊している。
ごく身近な人間にしか通じない言葉(=「あたしたち語」でしか話せないヒトたち
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言語レベルで考えると…
今のままでは「情報の民主化」以前に相互に言葉が通じない →言語での「知」の共有は不可能
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「情報の民主化」の達成は不可能?