2011年8月2日火曜日

「議論」について

よく、
「Twitterは議論には向かない」
という不思議な表現を見かける。
そういう時は
「議論に向かないのはTwitterじゃなくてあなたなんじゃないの?」
とも思うのだが、そういう揶揄はさておき、そのような誤解はそもそも「議論」という言葉についての誤解がその根底にあるのではないかと考えます。

よく私は、
「「対話」は「議論」の要素ではない」
という表現を使います。
「「対話型議論」と「非対話型議論」と「議論」には2種類ある」
という表現もしますが、要するに
「「議論」とは、
(1) 反対説について論理的な「批判を行ない、
(2) 自説を展開し主張立証すること
である」
と考えます。
このプロセスには必ずしも「対話」は必要ではなく、論文でもブログでも構わないのです。

その意味では、このブログ記事も「非対話型「議論」」となっています。

「Twitterに140文字の字数制限があることが「議論」に向かない理由だ」
という主張は一見正しそうですが、いくつかの tweet に分割すれば済むだけの話で、140文字を超えた文章で自説を主張立証するのが苦手な言い訳にTwitterの140文字制限が無意識のうちに利用されているようにも思えます。