2011年9月17日土曜日

「言論なきデモ行進」について、もう一言

「言論なきデモ行進」について、もう一言だけ言うと、
「地道な言論活動と密接なデモ行進」でないと成果は得られない
という観点から考えても、「言論なきデモ行進」(正確には「言論活動非前置型デモ行進」)にはあまり意義を見出し得ないのだが、「主催者が謳う目的以外の目的を持った者が紛れ込む危険性」という観点から考えても、日頃日常的に言論活動を共にする者同士による「言論活動前置型デモ行進」よりもかなり高いという点は注目すべきだろう。

そもそも「言論活動非前置型デモ行進」の場合、
「どういう目的の主張であれば“主催者が謳う目的”に合致するのか」
が、日常的に言論活動を共にする者同士ではないので参加者相互で事前に知り得ないし、“主催者が謳う目的”に合致するか否かの基準があいまいに過ぎるのです。

たとえば、「何が“脱原発”の範囲内に収まるのか?」は実は極めて不明確・不明瞭です。
「国内電力会社の電力供給については一切原子力発電はしないでください」
という点に事前に限定できれば明確・明瞭と言えるかもしれませんが、日常的に言論活動を共にする者同士でなければ限定は不可能ですし、完全に「同床異夢」となってしまいます。
原子力の問題は核兵器の問題につながりますし、実は原子力発電所の存在は安全保障上の重大な脅威とも考えられています。日常的に言論活動を共にするのでなくても、最低限参加者間の事前のすり合わせを行わなければ、核兵器や安全保障に関連する主張を「言論活動非前置型“脱原発”デモ行進」の中で主張することを止めることはできません。むしろ不可能だと言い切ることができます。

特定目的の言論アピールの場として「デモ行進」をするのであれば、一定程度の規模の事前の言論活動を伴う「言論活動前置型デモ行進」とせざるを得ないのです。

ただ、その基礎となるべき「情報の民主化」が未着手・未達成なので、私は「デモ行進」に参加する気にはなれませんが。

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