2011年5月19日木曜日

「右側通行志向」は危険

情報の民主化」に関連する余談を一つ。

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私が他人(ひと)の思考の志向性について推し量るのに使っている指標の一つに「歩行者の通行方法」がある。

困ったことに多くの人が「右側通行の原則」という嘘を鵜呑みにしているばかりか、その「右側通行幻想」すら“ご都合主義の勝手な解釈で都合のいいときだけ否定”している人があまりにも多いのだ。

世間の人が「右側通行幻想」のより所にしていると思われるのが、道路交通法第10条第1項本文だ。
何が書かれているかと言えば、要するに
「(1)歩道と車道の区別がない道路では、
(2)歩行者は右側端に
(3)寄って通行しなさい」
ということなのだ。
実際に条文を読んでいただければわかるとおり、実はこの条文には「右側通行」とも書いてないし、「原則」とも書いておらず、条文構成上も「原則」と解釈できる余地はないのだ。

上記の(1)から(3)にこの条文は分けられ細かい解釈が可能なのだが、もっと細かく言えばその前の0番めに、
「(0)自動車と歩行者との間の棲み分けルールとしては」
というのが入ると考えなければならない。
つまり、「右側通行幻想」を持っているヒトが暗に考えている「歩行者対歩行者のルール」というのは初めからこの道路交通法第10条には与えられていない役割なのだ。

だから、道路交通法第10条第1項が想定している「歩道と車道の区別がない道路」では、
(a)道路の真ん中には自動車が大きな顔をして悠々と通行していて、
(b)歩行者は、歩行者から見て道路の向かって右側の端(←「端」というのがポイント)に、自動車の通行から生じる危険を避けるように通行する。
という状況になるわけです。
「歩行者対歩行者」という対面はあり得ません。道路の真ん中にいる自動車に遮られて向こう側から歩いてくる歩行者はこちらからは見えないのですから。

これが道路交通法第10条第1項の規定する内容なのです。条文を理解するための最低限度の日本語読解力があれば簡単にわかることです。「右側通行の原則」だと誰が言おうとも、それが間違っていることは簡単にわかります。

ところが、多くのヒトが自分の目で条文を見て自分の頭で考えようとはしません。誰が言ったかはっきりしない「右側通行の原則」という幻想を完全に鵜呑みにしています。

私はこのような、「誰が言ったのかもはっきりしないようなことをただ漫然と鵜呑みにして信じ込む考え方」
「右側通行志向の思考」
と呼んでいます。
「志向」と「思考」が同音異義語の関係になっていて紛らわしいので、「志向」のほうを英語にして
「右側通行オリエンテッド思考」
とも呼んでいます。

この「右側通行オリエンテッド思考」は、はっきり言って為政者にとっては好都合です。何を言っても騙せます。増税も徴兵も原発推進も思いのままです。だって、誰も基本情報を読まず、誰が言ったかさえはっきりしないことを簡単に鵜呑みにしてくれるわけですから。

別に右を歩こうが左を歩こうが、自分の身の安全は自分で守るからいいって? まあ歩行者の通行方法だけならそれでもいいかもしれません。
でも、あなたの「右側通行オリエンテッド思考」は歩行者の通行方法だけですか? 生活のありとあらゆる場面に染み着いていませんか?

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