2012年9月1日土曜日

「脱原発抗議デモとDHCサプリメントとアサヒスーパードライ」

よく最近の「脱原発抗議デモ」を「ワン・イシュー」だなどと言う。
だが、「ワン・イシュー」というのは本当は
「一つの論点にだけ意識的かつ明確に絞り込む論理思考」
が前提にあるはずだ。
だが、実際には「一つの論点に明確に絞り込む」という作業を意図的にすっ飛ばしているというのが実情のようだ。

そもそも、日本人は肝心なことをよくよく考えて行動するなんてことは苦手で、誰かに刷り込まれた思い込むだけで行動することが多いのではないか?

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そのことを最初に痛感させられたのは、「ドライ戦争」と呼ばれたアサヒスーパードライをめぐるビールメーカーのシェア争いに始まる「偽ビール競争」だ。
今、発泡酒を第2のビール、所謂「新ジャンル」を第3のビールなどと言っているが、所詮は「偽ビール」である。そして、その「偽ビール」のさきがけがアサヒスーパードライなのだ。

ビール好きにとってはふざけた話ではあるが、まあ逆転の発想という意味ではシェア回復のためには有効な「奇策」なのだ。
要するにこうだ。ビール業界全体の中でアサヒビールはシェアが落ち込みなかなかそれを回復できないでいた。その一方で「とりあえずビール」という言葉があるとおり、ビールというジャンルは一定程度安定した収入が見込める分野でもあった。
そのとき、アサヒビールは他社が思いもつかない方法でシェアを「獲得」しようと考えたのだ。
つまり、「麦芽・ホップと“ビールに適した酵母”を使ってビールの味を追求する」ということをやめたのだ。別の言い方をすれば、
「ちゃんとしたビールが好きな少ないビールファンを取り合うのはやめて、むしろビールが嫌いで乾杯だけビールという残りの層でナンバー1を目指す戦略」
への転換だ。
麦芽とホップにそれ以外の材料を加えるのは他社でもやっていた。アサヒビールの奇策は「ビール不適格酵母」を使ったビールの醸造という点にある。これにより、「ビール不適格酵母」というくらいだから「ビール好きには嫌われる」ことになった。だが、「とりあえずビール」というほどビールにこだわりのない層には浸透した。「麦芽・ホップと“ビールに適した酵母”を使ってビールの味を追求したビール」の販売量は他社に残したまま、「とりあえずビール」というほどビールにこだわりのない層をアサヒビールは取り込むことに成功したわけだ。そして、(「ビールの」シェアではなく)「ビール業界の」シェアナンバー1を獲得したのだ。

「奇策」はさらに続く。「麦芽・ホップと“ビールに適した酵母”を使ってビールの味を追求する」というビール本来の品質には目をつぶり、「鮮度が命」という「本筋以外の品質」をアサヒビールは「発明」してシェアを伸ばした。「麦芽・ホップと“ビールに適した酵母”を使ったビール本来の味」には興味がなくむしろ嫌ってさえいた層にはこれがさらにウケた。これ以降、「税法上のビール」でアサヒは不動の首位を維持し続けている。

市場の大多数から支持されるのには、本質的な品質なんかどうでもいいのである。
「これが品質だ!」というイメージを発明し、偽者でも何でもいいからそれを含めた「業界全体のシェア」を新たに定義しなおしてその中のナンバー1をとればいいのだ。

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もう一つの恐るべき事例が健康食品、いわゆる「サプリメント」にあった。

「サプリメント」は、一部には摂取方法や摂取パターンに特別な注意を要するものがあるとはいえ、薬品ではなく食品なので消費者も比較的少ない知識で利用可能で、様々な企業が参入しやすい。
とはいえ、本当の「品質評価基準」はあまり知られていない。

たとえば、ビタミンCは「食品から抽出」することもできるが「合成」もできる。そして、どちらも「ビタミンC」ではある。
だが、ビタミンCは、
  • 食品に含まれる場合はビタミンC単体ではなく補酵素として作用する「バイオフラボノイド」(俗に言う「ビタミンP」)が含まれた状態で存在する。
  • ビタミンCは水溶性ビタミンで、摂取後一定時間で対外に排出されるので、そのまま大量に摂取しても使われないうちに捨てられることになる。したがって、それを防ぐためには徐々に体内に摂取される「タイムリリース加工」をすることが必要。
なのである。
つまり、高品質のビタミンCサプリメントというのは、この2つの条件を満たしているのです。

ところが、たとえばテレビCMでDHCは「成分量」と「低価格」がサプリメントの「品質」だ、と言い切っている。「バイオフラボノイド」が含まれない単体のビタミンCが(「タイムリリース加工」もされずに)ただ大量に入っているだけのものを「高品質」と言っているのだ。

ここでも、市場の大多数から支持されるのには本質的な品質なんかどうでもいい、という発想がある。
「これが品質だ!」というイメージを発明し、偽者でも何でもいいから「品質」を新たに定義しなおしてそれを大勢の潜在顧客層に植えつければいいのだ。

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これら二つの事例は、大衆の無知につけこんで供給側によって一方的に「発明」されたイメージのままに偽の「品質」に踊らされる日本人というものを教えてくれる。

そして、「脱原発抗議デモ」なのである。
「ワン・イシュー」だなどと言っているが、そこに
「一つの論点にだけ意識的かつ明確に絞り込む論理思考」
というものがあるだろうか?
ただ単に誰かによって「発明」されたイメージに踊らされてはいないだろうか?
「脱原発」がもたらす「品質」は明確なのだろうか? 誰かに「発明」された偽の「品質」ではないだろうか?

(未完)

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