2011年11月12日土曜日

「わかりやすさ」をもてはやすことに対する警鐘

以前も多少はあったのだが、ここ数年もてはやされていることに「わかりやすさ」ということがある。
だが、私はこのことに違和感と危機感を感じるのである。

「わかりにくいよりはわかりやすいほうがいいに決まっているではないか!」
そう単純に思ったあなたは立ち止まって考えてみてほしい。
世の中のことでいとも簡単にわかってしまうことなどあるのだろうか?
たいていはいくらかんばって調べたり考えたりしても「ある程度わかること」と「どうしてもわからないこと」に 分かれてしまうのではないだろうか?

ここで私が問題にしているのは、「わかりやすくすることは悪い」ということではない。
「わかりやすさばかりを求めることで失ってしまうこと」があるのが問題ではないか、ということだ。

昨今は何でもかんでも「わかりやすい説明」が他人の手によって用意されている。もちろん、容易にわかりやすく説明できることを無理に難しく説明することはないが、「わかりにくさの中に問題の本質が含まれていること」まで本質を切り捨ててわかりやすさを優先してしまったら、その物事の本質を知らないままに誤った道を進んでしまうことがあるのではないかと私は思うのです。

ハッキリ言って、昨今の「わかりやすさブーム」は、わかりやすさを消費させられ物事の本質から目を背けさせられているようにしか私には見えません。
そのうちに、「わかりやすい説明が売られていない問題には目を向けなくなる」といったことや、「わかりやすい説明に世論操作されてしまう」などといったことが起こるのではないでしょうか?

ここ数日のTPP問題はまさにこの
「わかりやすい説明に世論操作されてしまう」
といったことがあちらこちらで見られたように私の目には映るのですが…。

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