2011年7月19日火曜日

学校の勉強はホントに社会に出て役に立たないのか?

「学校の勉強なんて社会に出て役に立たない」
って言われて真に受けちゃったヒトってホントにいるみたいですね。

まあ、確かに「そのまま役立つことはない」という科目もありますし、
高校3年と大学1~2年の間を架橋する学習が必要な科目もありますけど、
「学校の勉強は社会に出て役に立たない」っていうのは明らかな嘘です。
 
それって、要するに
“学校での勉強を役に立てることに失敗したヒトの言い訳”
に過ぎないと思います。


→「学校の勉強はホントに社会に出て役に立たないのか? (続) 」

 

2011年6月23日木曜日

あたりまえのこと

いくつか基本的なことを書いたら、「情報の民主化」についてはもう書くことがなくなってしまった。

「情報の民主化」って所詮は“きわめてあたりまえのことに関する概論の総論”だから、賛同者が具体的に一人以上現れて具体的な実現フェーズに入らなければ、これ以上言うことも書くことも何もないんですよね。

2011年6月15日水曜日

「日本語」とは?

「 「国民国家」における「情報の民主化」の前提としての「国語」の重要性について」の補足ですが、ここで言う「日本語」というのはもちろん「国家単位での共通語である「国語」」としての「日本語」なので、各地方の方言は当然入りません。

よく私が
「○○弁は「日本語」じゃない」
と言うとものすごい剣幕で怒り出す人がいます。
「日本」や「日本語」という概念を勘違いしていらっしゃるみたいなので、敢えてここで説明を加えておきます。

2011年6月5日日曜日

「国民国家」における「情報の民主化」の前提としての「国語」の重要性について

今回は「情報の民主化」と言葉の関係性のお話。
でも、言語での意思疎通に問題を感じて書き始めたこともあり、敢えて文章化はせず下書きのブロックメモをそのまま載せます。

推敲途中の文章を意図的に掲載したり、敢えて文章化はせず下書きのブロックメモをそのまま載せたり、それにも意味があるのですが、その意味は各自勝手に考えてください。

*     *     *     *

「個」の経験のみを重視する考え方の危険性 →「知」を共有する必要性(「知」の結集=近代立憲主義の礎)
      ↓
テレパシーがない →言語で「知」を共有する必要性
      ↓
近代「国民国家」における言語での「知」の共有 →国家単位での共通語である「国語」が必要
      ↓
ところが、今の日本では「国語」(=「日本語」)が崩壊している。
ごく身近な人間にしか通じない言葉(=「あたしたち語」)でしか話せないヒトたち
      ↓
言語レベルで考えると…
今のままでは「情報の民主化」以前に相互に言葉が通じない →言語での「知」の共有は不可能
      ↓
「情報の民主化」の達成は不可能?

2011年5月30日月曜日

私が「情報の民主化」を唱えるにあたって影響を与えているもの

私が唱える「情報の民主化」を、理念面 で支えているのは「近代立憲主義へのアフェクション」であり、実践面では『孫子』の兵法の“情報に対する考え方”の現代的なあてはめだ。

「近代立憲主義へのアフェクション」については、佐藤幸治・著『憲法』(青林書院新社 現代法律学講座5 初版(1981年))の「はしがき」を読んでいただくとして、『孫子』の兵法の“情報に対する考え方”は日本人にとっての一つの常識なので、あらためて『孫子』の原文を読んできちんと確認しておいていただきたい。

「彼を知りて己れを知らば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知らば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」(『孫子』謀攻篇)

「彼を知り己れを知らば、勝は乃ち殆うからず。天を知り地を知らば、勝は乃ち全うすべし」(『孫子』地形篇)

「情報の民主化」を疎かにし「彼を知らず己を知らざれば」どのような憂き目にあうのか、原発震災で「もういや!」というほど散々思い知らされてきたはずだ。