「情報の民主化」については、目指すべき方向性はあらかた語り尽くした。
《提案フェーズ→設計フェーズ→実行フェイズ→改良・拡張フェイズ》
という段階で言えば、「提案フェイズ」は終了したと言っていい。
あとは、賛同者が現れて具体的に実現する流れを作るだけだ。
まずは、実現のための「設計フェイズ」に移行しなければならない。
「提案フェイズ」で考えたことを具体的に実施するための実現手段を設計するのだ。
実現のためには、実現技術を支援してくださる方と、実現のための資金を援助してくださる方が必要だ。
とはいえ、まだ「提案」に対する(「いいですね」と言うだけの観念的な賛同ではなく)具体的な行動に結びつくような意味での「賛同」がまったく得られていない段階では、単なる夢想・妄想のレベルですけどね。
2011年9月1日木曜日
2011年8月31日水曜日
「情報の民主化」に関する勘違い
2011年8月2日火曜日
「議論」について
よく、
「Twitterは議論には向かない」
という不思議な表現を見かける。
そういう時は
「議論に向かないのはTwitterじゃなくてあなたなんじゃないの?」
とも思うのだが、そういう揶揄はさておき、そのような誤解はそもそも「議論」という言葉についての誤解がその根底にあるのではないかと考えます。
よく私は、
このプロセスには必ずしも「対話」は必要ではなく、論文でもブログでも構わないのです。
その意味では、このブログ記事も「非対話型「議論」」となっています。
「Twitterに140文字の字数制限があることが「議論」に向かない理由だ」
という主張は一見正しそうですが、いくつかの tweet に分割すれば済むだけの話で、140文字を超えた文章で自説を主張立証するのが苦手な言い訳にTwitterの140文字制限が無意識のうちに利用されているようにも思えます。
「Twitterは議論には向かない」
という不思議な表現を見かける。
そういう時は
「議論に向かないのはTwitterじゃなくてあなたなんじゃないの?」
とも思うのだが、そういう揶揄はさておき、そのような誤解はそもそも「議論」という言葉についての誤解がその根底にあるのではないかと考えます。
よく私は、
「「対話」は「議論」の要素ではない」という表現を使います。
「「対話型議論」と「非対話型議論」と「議論」には2種類ある」という表現もしますが、要するに
「「議論」とは、と考えます。
(1) 反対説について論理的な「批判」を行ない、
(2) 自説を展開し主張立証すること
である」
このプロセスには必ずしも「対話」は必要ではなく、論文でもブログでも構わないのです。
その意味では、このブログ記事も「非対話型「議論」」となっています。
「Twitterに140文字の字数制限があることが「議論」に向かない理由だ」
という主張は一見正しそうですが、いくつかの tweet に分割すれば済むだけの話で、140文字を超えた文章で自説を主張立証するのが苦手な言い訳にTwitterの140文字制限が無意識のうちに利用されているようにも思えます。
2011年7月19日火曜日
学校の勉強はホントに社会に出て役に立たないのか?
「学校の勉強なんて社会に出て役に立たない」
って言われて真に受けちゃったヒトってホントにいるみたいですね。
まあ、確かに「そのまま役立つことはない」という科目もありますし、
高校3年と大学1~2年の間を架橋する学習が必要な科目もありますけど、
「学校の勉強は社会に出て役に立たない」っていうのは明らかな嘘です。
それって、要するに
“学校での勉強を役に立てることに失敗したヒトの言い訳”
に過ぎないと思います。
って言われて真に受けちゃったヒトってホントにいるみたいですね。
まあ、確かに「そのまま役立つことはない」という科目もありますし、
高校3年と大学1~2年の間を架橋する学習が必要な科目もありますけど、
「学校の勉強は社会に出て役に立たない」っていうのは明らかな嘘です。
それって、要するに
“学校での勉強を役に立てることに失敗したヒトの言い訳”
に過ぎないと思います。
→「学校の勉強はホントに社会に出て役に立たないのか? (続) 」
登録:
投稿 (Atom)
