2011年8月31日水曜日

「情報の民主化」に関する勘違い

もしも「情報の民主化」を「主観の排除」と理解するならそれは勘違いだ。
むしろ、「「議論」の基礎としての主観の体系的位置付け」と呼ぶべきだ。

自説と反対説とを体系的に整理し、その体系の中に正確に位置付け、それぞれの長所と短所を見極め把握することが、国民主権下の民主政治における有権者の判断の基礎として必要不可欠なのだ。

2011年8月2日火曜日

「議論」について

よく、
「Twitterは議論には向かない」
という不思議な表現を見かける。
そういう時は
「議論に向かないのはTwitterじゃなくてあなたなんじゃないの?」
とも思うのだが、そういう揶揄はさておき、そのような誤解はそもそも「議論」という言葉についての誤解がその根底にあるのではないかと考えます。

よく私は、
「「対話」は「議論」の要素ではない」
という表現を使います。
「「対話型議論」と「非対話型議論」と「議論」には2種類ある」
という表現もしますが、要するに
「「議論」とは、
(1) 反対説について論理的な「批判」を行ない、
(2) 自説を展開し主張立証すること
である」
と考えます。
このプロセスには必ずしも「対話」は必要ではなく、論文でもブログでも構わないのです。

その意味では、このブログ記事も「非対話型「議論」」となっています。

「Twitterに140文字の字数制限があることが「議論」に向かない理由だ」
という主張は一見正しそうですが、いくつかの tweet に分割すれば済むだけの話で、140文字を超えた文章で自説を主張立証するのが苦手な言い訳にTwitterの140文字制限が無意識のうちに利用されているようにも思えます。

2011年7月19日火曜日

学校の勉強はホントに社会に出て役に立たないのか?

「学校の勉強なんて社会に出て役に立たない」
って言われて真に受けちゃったヒトってホントにいるみたいですね。

まあ、確かに「そのまま役立つことはない」という科目もありますし、
高校3年と大学1~2年の間を架橋する学習が必要な科目もありますけど、
「学校の勉強は社会に出て役に立たない」っていうのは明らかな嘘です。
 
それって、要するに
“学校での勉強を役に立てることに失敗したヒトの言い訳”
に過ぎないと思います。


→「学校の勉強はホントに社会に出て役に立たないのか? (続) 」

 

2011年6月23日木曜日

あたりまえのこと

いくつか基本的なことを書いたら、「情報の民主化」についてはもう書くことがなくなってしまった。

「情報の民主化」って所詮は“きわめてあたりまえのことに関する概論の総論”だから、賛同者が具体的に一人以上現れて具体的な実現フェーズに入らなければ、これ以上言うことも書くことも何もないんですよね。

2011年6月15日水曜日

「日本語」とは?

「 「国民国家」における「情報の民主化」の前提としての「国語」の重要性について」の補足ですが、ここで言う「日本語」というのはもちろん「国家単位での共通語である「国語」」としての「日本語」なので、各地方の方言は当然入りません。

よく私が
「○○弁は「日本語」じゃない」
と言うとものすごい剣幕で怒り出す人がいます。
「日本」や「日本語」という概念を勘違いしていらっしゃるみたいなので、敢えてここで説明を加えておきます。